2017.08.27説教 「いのちを知らされて」(香月 茂 牧師)  

旧約聖書 イザヤ書 53章 3~ 6節
新約聖書 マルコ福音書  8章31~37節

新約聖書に記されている「命(いのち)」は、自然死で終わりとする私たちの肉体的な命ではありません。それは、神様とのかかわりの中で位置付けられ、生ける神様によって与えられるものであり、「魂の救い」と言い換えてもいいのです。人は、この救いのために、それを何とかして得ようと必死になって、自分が信じるあらゆる修行や善行などをするでしょう。しかし、たとえどんなに多くの人間的な業によってもそれを得ることはできないのです。むしろ、それは反って命から遠のきます。このようなわたしたちのために、父なる神は、憐れんで独り子なる御子キリストをこの世に送ってくださいました。そしてその御子の命を捧げて、わたしたちを愛して、わたしたちの罪を贖い、わたしたちを救い、命の道を開いてくださったのです。もしも人が、御子キリストによる救いを信じないで、自分のために、あらゆるものを手に入れたとしても、この御子によって与えられている命を失うとしたら、何の得になるでしょうか。

私たちは、自分が欲することを追い求めて生きていくのではなく、私たちのために、十字架の上で死んで、復活されたキリストを信じ、キリストに従って生きていく時にこそ、命に生きることができるのです。それが、どんなに小さな歩みであっても、命に生きる道なのですから、キリストを信じて歩んでいきましょう。

 

 

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