2020.02.16説教「主の弟子への招き」

旧約聖書   エレミヤ 16章16節
新約聖書   マルコ  1章16~20節

主イエスは、どこにもいるような普通の人々を、彼らの職場に出かけて、弟子としました。同じように、主イエスは、今も、私たちの所に、私たちの生活の場、職場へと来てくださいます。そして、私たちをじっと御覧になって、「そのままでいいですから、私の弟子になりなさい」と声をかけておられます。主イエスの弟子に最も必要とされていることは、いつも主イエスに付いていくということです。主イエスは、招きと共に、約束を与えました。「人間をとる漁師にしよう」と言われました。私たちが、主イエスに従ったとき、主イエスは、私たちの生涯に、各自それぞれにふさわしいところの、神の「〇〇しよう」を実現してくださいます。主イエスに招かれた人々は、「すぐに」主イエスに従いました。全面的に信頼して従う姿こそが「すぐに従う」ことの中に現れています。また、「従う」という言葉は、新約聖書においては、「捨てる」という言葉と一緒に使われています。何かを捨てなくては「従う」ことができないというのでなく、「従う」から捨てることができるわけです。主イエスは、私たちに何よりも、自我を捨てることを求めておられます。自我を捨てて主イエスに従う者、このような者が本当の主イエスの弟子です。私たちは、主イエスの弟子としてはあまりに不十分なものです。しかし、主イエスは、今にいたるまで私を導いて下さっています。同じ主イエスは、必ず私の残りの人生をこれからも導いて下さいます。そう信じて、これからも、主イエスの招きに全力をもって応えていきましょう。

2020.02.09説教「神の国への招き」

旧約聖書   イザヤ 40章 1、 2節
新約聖書   マルコ  1章14、15節

主イエスが洗礼者ヨハネからバトンを受け取り、神の救いの働きを始められたのは、ユダヤの田舎のガリラヤでした。ここにはユダヤ人の嫌う異邦人が住んでいました。ですから、ガリラヤは、都会のエルサレムの人々から「闇の中に住む民」「死の地、死の陰に住む人々」と言われ馬鹿にされました。主イエスは、自分たちには救いなど必要ないとふんぞりかえっているエルサレムにではなく、自分の心の暗さを知り、救いを求めているガリラヤに来られたのです。そこがどんなに闇の中、死の地であったとしても主イエスは、心から救いを求める人々の中に来てくださいます。

 主イエスがされた活動は、「神の福音を宣べ伝える」ことでした。主イエスが語られたメッセージの内容は、①「時は満ち」 神の救いの時がきました、という事です。②「神の国は近づいた」 神の国の領土が世界中に広がったというのです。その入国条件が「悔い改めて、福音を信じる」ことです。③「悔い改めて」 向きを変えて神のもとへ帰るということです。④「福音を信じなさい」 神の御業が私のとって最高の喜びの知らせだ、と信じて喜ぶことです。

主イエスは、「時が来た、今がチャンスだ」と言われます。今、神の国は私たちの中にも来ているのです。信じて飛びこめば、本当の喜びに満たされた人生の歩みが与えられるのです。この一週間、神の国の一員として、神の喜びに満たされて、一歩一歩を進みましょう。

2020.02.02説教「人生の荒れ野にて」

旧約聖書   イザヤ 11章 6~ 8節
新約聖書   マルコ  1章12、13節

「荒れ野」は、元の意味では人に捨てられた場所ということです。なぜこのような「荒れ野」は、できたのでしょうか。神は、天と地を最高の状態に創造されました。ところが最初の人類であるアダムとエバは、蛇に唆(そそのか)されて、禁断の木の実を食べてしまいます。その結果、自然は、人間に敵対するものとなり、荒れ野になりました。人間も自然も神がいてこそ、本来のあるべき姿を保つことができるように造られていました。この神を捨ててしまったことで、人間も自然も本来あるべき姿を失ってしまいました。イエス・キリストが、地上に来られたのは、自然や人間を本来あるべき姿に戻すためでした。イエス・キリストは、自然や人間のうちにある荒れ野を滅ぼすために来られたお方です。イエス・キリストは、荒れ野において四十日間に私たちと神との関係を修復しようとされました。ところがこの荒れ野には、人間と神との関係を壊そうとするサタン(悪魔)がいました。しかし、イエス・キリストは、徹底的して神の言葉に信頼することによって、サタンに勝利しました。御言葉だけがサタンに勝利し、人生の荒れ野を消し去る唯一の方法です。「野獣と共におられた」「天使たちが仕えていた」という表現は神との関係が回復したものに与えられる祝福が記されています。このことから、イエス・キリストは、本来あるべき人間と神との関係、本来あるべき人間と自然との関係を取り戻してくださったということが分かります。イエス・キリストがいるところでは、荒れ野は消え去り、本来の自分に戻っていきます。

2020.01.26説教「ここから天が見える」

旧約聖書   イザヤ 42章 1節
新約聖書   マルコ  1章 9~11節

主イエスは、ガリラヤから出て来て、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けられました。このことは主イエスが、私たちの仲間であるということを表しています。主イエスは、罪を犯すことはありませんでしたが、私たちの先頭を切って洗礼を受けて、教会のメンバーになられたのです。

主イエスが洗礼を受けて、水から上がっているときに「天が裂けて霊が鳩のように」降ってきました。「天が裂ける」とは、神のおられる天と人間のいる地を隔てていたものが壊れて、神の愛の光が差し込んできたということです。「霊が鳩のように」とは、天地創造の時に、聖霊が鳥のように動いていたように、主イエスの洗礼によって、神が人類に新しいことを始められたということです。このようなお方が私たちの仲間であるということはなんと心強いことでしょうか。

主イエスが、聖霊を見た後、天の声が聞こえてきました。この天の声には二つの意味があります。①イエス・キリストが、私たちと罪を完全に赦し、救いを下さる王であること。②イエス・キリストが、私たちのために十字架の苦しみを受けられ、そして今なお、私たちの苦しみを共に生きてくれる僕(しもべ)であること。このようなお方が私たちの仲間であるということはなんと心強いことでしょうか。

ですから、マルコは「だから、あなたがたはイエス・キリストに従いなさい。だから、あなたがたはイエス・キリストの後について洗礼を受けなさい」と、語るのです。

2020.01.19説教「ここから神の言葉が聞こえる」

旧約聖書   イザヤ 40章 3節
新約聖書   マルコ  1章 2~8節

マルコは、福音書をクリスマスから書きませんでした。神の言葉から書き始めています。マルコは、神の言葉を引用しながら「今ここで、約束どおりに神の言葉が実現し、神の救いの御業が始まった」と宣言します。人生が道の見えない荒れ野のようであったとしても、御言葉を知る者には、神の約束の故に喜びに満たされます。洗礼者ヨハネは、神を迎えるために、一番大切なことは、「悔い改め」であると主張しました。「悔い改め」の原意は、「向きを変えて帰る」ということです。今までの道の歩き方が違っていたことを認めて、向きを変えて神のもとへ帰るということです。神は神のもとに帰ってきた私たちを喜んで迎えてくださり、今までの罪を赦してくださいます。そのために大切なことは、「罪の告白」です。「告白」とは、自分の心の中にあるものを、外部に出すということです。神のもとへ、時には人の前に出すということです。私たちは、罪を魂の医者である神に報告すればいいのです。神が手術をして、完全に治してくださいます。これほどの良い知らせがあるでしょうか。洗礼者ヨハネが、「主の道を備えよ」と叫びましたが、その準備が整わないうちにイエス・キリストは来てくださいました。主イエスは今も、私たちの心が準備不足でも、いやまったく準備ができていない荒れすさんだ状態にあっても、私たちの心の内に来てくださいます。ただ、聞こえてくる神の言葉を信じて心を開きさえすれば、主イエスは、私たちの内に来てくださり、共にいてくださるのです。これこそが本当の喜びです。

 

2020.01.12説教「ここから喜びがはじまる」

旧約聖書   創世記 1章1、2節
新約聖書   マルコ 1章  1節

「神の子イエス・キリストの福音の初め」  これは、マルコがつけたこの書物のタイトルです。この「初め」という言葉は、聖書の最初の創世記1章1、2節と深い関係があります。マルコは、この創世記と同じように、それまでのむなしさと暗やみを撃ち破って、今、新しい出来事が始まった、と宣言しているのです。「福音」とは、救いに関する「喜びの知らせ」という意味です。イエス・キリストによってもたらされる救いの喜びの知らせです。彼が来られたことで、むなしさと暗やみは打ち砕かれて、新しい世界が今、始まろうとしています。「キリスト」とは、「油注がれた者」という意味で、「救い主」を表す称号です。旧約聖書では、王、祭司、預言者が就任するときにこの油注ぎが行われました。イエス・キリストは、私たちを攻撃するすべての悪を撃ち破る王です。イエス・キリストは、私たちと神の間を取り持ってくれる祭司です。そして、イエス・キリストは、私たちに神の言葉を伝える預言者です。どんなすばらしい人間にも限界があります。しかし、イエスは、「神の子」です。父なる神と一体のお方です。彼には、限界はありません。いつの時代のどこの場所のどんな人間であっても、イエスは救ってくださいます。その人生の空しさと、暗やみから救って下さいます。私たちにとって、これほどの喜びの知らせがあるでしょうか。私たちは、この1週間、私たちの空しさ、暗やみを撃ち破るこのお方を信じて、喜びに満たされた人生を歩みましょう。

2020.01.05説教「心を新たに、御心をわきまえ」

旧約聖書   イザヤ書 30章21節
新約聖書   ローマ書 12章1、2節

2020年の活動方針について御言葉から学びましょう。

活動方針
①礼拝によって心を新たにする
神への献身こそ真実な礼拝です。主日礼拝だけでなく、日々の生活を通して神に喜ばれる礼拝を捧げていきましょう。真実な礼拝が心を新たにし、私たちの行くべき道に導いて下さいます。

②神の御心をわきまえて道を選ぶ
2022年以降の教会の体制づくりを行っていきます。私たちの思いを超えて、神の御心が実現するように祈り、考えていきましょう。道は必ず開かれます。

③足元の一歩一歩を大切に
道を捜すためには、今の歩みが大切になります。子ども伝道、賛美伝道がますます用いられるように祈りましょう。新来者が与えられるように、洗礼者が与えられるように、祈って励んでいきましょう。